One Healthの視点から 獣医療におけるAMR対策の普及啓発に取り組む
第1回AMR対策普及啓発活動 農林水産大臣賞
このコーナーでは、薬剤耐性(AMR)対策の優良事例として内閣官房の「AMR対策普及啓発活動表彰」を受賞した活動をご紹介しています。第17回で取り上げるのは、「動物用抗菌剤研究会における薬剤耐性対策の普及啓発活動の取り組み」で第1回農林水産大臣賞を受賞した、動物用抗菌剤研究会の活動です。1973年設立の同会は、早くから動物の耐性菌問題に取り組み、薬剤使用の適正化に向け普及啓発活動を行ってきました。その取り組みについて、動物用抗菌剤研究会理事長 浅井鉄夫先生(岐阜大学大学院連合獣医学研究科教授)にお話を伺いました。
動物用抗菌剤研究会理事長、岐阜大学大学院連合獣医学研究科教授
1987年岐阜大学農学部獣医学科卒業、1989年同大学大学院農学研究科獣医学、1989~2003年全国農業協同組合連合会、2003~2013年農林水産省動物医薬品検査所、2013年より岐阜大学大学院連合獣医学研究科教授、2018年より動物用抗菌剤研究会理事長
家畜の耐性菌は畜産現場だけの問題ではない
家畜由来の耐性菌とヒトへの影響に着目
動物用抗菌剤研究会は50年近くも前に、家畜の耐性菌を研究するために設立されたと伺いました。その経緯を教えてください。
浅井氏 設立のきっかけは、1969年に英国で発表されたスワンレポート(Swann Committee Report)です。その中で、家畜由来の耐性菌が食物連鎖を介してヒトの健康に影響する危険性が、国家レベルで初めて指摘されました。状況を憂慮した日本の研究者らが発起人となり、1973年に立ち上げたのが「家畜の耐性菌研究会」です。当初の目的は耐性菌の調査研究でしたが、家畜用抗菌剤の研究や適正使用にも取り組むようになり、1983年に「家畜抗菌剤研究会」と改称しました。現在の名称は1992年からで、今は水産動物や愛玩動物(ペット)も対象になっています。
会員はどのような方々ですか。
浅井氏 大学・研究所の教員や研究者、開業および地方自治体の獣医師、製薬企業関係者などで、2020年現在98名の会員がいます。
主な活動について教えてください。
浅井氏 まず毎年シンポジウムを開催し、その時々の話題を広く紹介しています。今年のテーマは「環境における薬剤耐性菌の現状と人の健康への影響」で、私も野生動物に分布する薬剤耐性菌について講演しました。また機関誌「動物用抗菌剤研究会報」を年1回発行し、総説や研究論文などを掲載しています。そのほか薬剤感受性試験や臨床試験に関する各種ガイドライン、疾患別治療ガイドブックなどの作成、「動物用抗菌剤マニュアル」を出版するなどしています。
第34回シンポジウムでの質疑応答
感染症発生には飼育状況や出荷までの期間なども影響
今回は、動物の中でも家畜についてお話を伺いたいと思います。家畜の細菌感染症にはどのようなものがありますか。
浅井氏 代表的なのは肺炎などの呼吸器感染症、下痢などの腸管感染症です。そのほか豚では皮膚炎、牛では乳房炎もしばしばみられます。
こうした感染症はヒトでもみられますが、何か違いはありますか。
浅井氏 家畜の方が頻度は高いです。例えば、牛はもともと乳量が多いうえ機械で搾乳するので、乳房炎を起こしやすい。牛舎の床に寝た時に乳房に菌が入ったり、感染牛の乳房に触れた手や搾乳機を介して次の牛に感染する、といったこともあります。また、豚の呼吸器感染症は悪化すると肺炎や敗血症を引き起こし、全体の発症数は非常に多いです。
なぜ豚でそれほど多いのですか。
浅井氏 集団飼育しているからです。飼育密度が高くなると、それだけ感染症も起こりやすくなります。ちなみに肉用鶏も数が多いですが、飼育期間が約40日と短いので、感染症の問題は比較的少ないといえます。
抗菌性物質の約5割が家畜での使用
家畜で用いられている抗菌剤について教えてください。
浅井氏 家畜では、大きく2種類の抗菌性物質が使われています。1つは細菌感染症の治療に用いられる動物用医薬品で、抗菌剤といった場合はこちらを指します。もう1つは、家畜の餌に混ぜて使われる抗菌性飼料添加物です。動物用医薬品の抗菌剤は農林水産省により承認され、獣医師の診察に基づいて用いられる要指示医薬品で、抗菌剤ごとに家畜の種類、投与経路や量、使用禁止期間※が定められています。一方、飼料添加物は抗菌というより、飼料中の栄養成分の有効利用を目的に使われます。農林水産省の許可のもと飼料工場で添加され、使用できる畜種や発育段階、量などは厳密に定められています。
※出荷前や授乳前の抗菌剤を使ってはいけない期間
動物用の抗菌剤は、ヒト用とは成分が違うのですか。
浅井氏 動物専用の成分もありますが、ヒトで用いられる系統と概ね共通しています。投与経路は経口、注射、乳房注入です。経口薬は、餌や飲水に混ぜて投与することがほとんどです。
こうした薬剤は家畜でどれぐらい使われているのでしょうか。
浅井氏 日本における2018年の抗菌性物質の使用量は全体で1,761トンにのぼり、このうち約5割が家畜に用いられています。その内訳は抗菌剤が約40%、抗菌性飼料添加物が約10%で、抗菌剤の中では豚における使用量が約75%と、高い割合を占めています1)。
集団かつ多数飼育される豚で使用量が多い
やはり豚が多いのですね。
浅井氏 豚は頭数が多いですから。母豚は5カ月に1回約10頭、最近では14頭ぐらい出産することもあり、母豚が50頭いれば、養豚場には約600頭はいることになります。それを約6カ月飼育して出荷します。感染症は母体からの移行抗体が落ちてくる離乳期に起こりやすいのですが、何しろ数が多いので個別にはとても対応しきれません。発症してから治療を始めたのではコストがかさむ、という問題もあります。そのため起こりうる病気を予知し、餌や飲み水に抗菌剤を混ぜて集団で治療するということが一般的には行われています。
牛は違うのですか。
浅井氏 牛は通常1頭しか産まず、それを2年ぐらい飼育して出荷します。飼育数が少ないので、基本的に獣医師が個体診療しており、抗菌剤の使用量も豚に比べると少ないです。
肉用鶏は感染症の問題は比較的少ないというお話でしたね。
浅井氏 肉用鶏の場合、孵化場から仕入れた雛を約40日飼育して出荷します。飼育期間が短く、また出荷前は使用禁止期間にあたるので、抗菌剤を使うとしたら最初の段階ぐらいです。そもそも1羽あたりの利益が少ないため、薬は使わずに済むなら使わないという養鶏農家が多いです。
家畜で最も使われている抗菌剤はテトラサイクリン系
具体的にはどのような抗菌剤が使われているのでしょうか。
浅井氏 家畜で最も使用量が多いのはテトラサイクリン系で、家畜用抗菌剤の約40%を占めています。他方、ヒトで問題となっているフルオロキノロン系や第3世代セファロスポリン系は1%未満です1)。テトラサイクリン系の約6割が豚で使用され、豚で使用する9割以上は経口薬で、主に呼吸器感染症に使われます。
なぜテトラサイクリン系が多いのですか。
浅井氏 値段が安いからです。集団飼育する豚にワクチンや他の抗菌剤を使えば、即コストに跳ね返ってきます。ただ、テトラサイクリン系はいわゆる「切れ味」がいい薬ではありません。そのため個体診療が中心となる牛では、βラクタム系やキノロン系などが使われています。
そうすると、耐性菌もテトラサイクリン系に関するものが多いのでしょうか。
浅井氏 そうですね、テトラサイクリン系の使用量自体は減少傾向にあるのですが、耐性菌は依然として問題になっています。
畜産分野のAMR対策はリスク分析と慎重使用
ここからはAMR対策について伺います。まず畜産分野全体では、どのような対策がとられているのでしょうか。
浅井氏 薬剤耐性菌のリスク分析(モニタリング)と抗菌剤の慎重使用という、大きく2つの柱が対策の中心です。このうちリスク分析はリスクの評価・管理・コミュニケーションの3つからなり、食品安全委員会がリスク評価(食品健康影響評価)を、その通知を受けて農林水産省と厚生労働省がリスク管理を行い、お互いに意見交換をはかっています。リスク管理のうち、農場段階は農林水産省、屠畜以降の食肉処理や流通は厚生労働省の管轄で、後者は食中毒菌対策が中心となるため、AMR対策は主に農林水産省が担っています。それぞれ所轄の法律があり、こうした法的規制のもとで抗菌剤の慎重使用が推進されています。
薬剤耐性リスクアナリシスの仕組み
(浅井鉄夫「感染と消毒」Vol.27,No.1 p.30より)
「適正使用」ではなく「慎重使用」なんですね。
浅井氏 「慎重使用」はWHOが最初に用いた表現で、2003年に国際獣疫事務局(OIE)が作成した薬剤耐性ガイドラインにおいて、「動物用抗菌剤の責任ある慎重使用」という表現が使われました。その流れで、獣医療では法的規制や用法用量を遵守した薬の使い方を「適正使用」、適正使用に加え耐性菌の出現を最小限に抑えるための使い方を「慎重使用」とよぶことが定着しています。
慎重使用と適正使用
(牛呼吸器病(BRDC)における抗菌剤治療ガイドブックより)